慟哭の舞 氷艶2019 月光りのごとく」第二幕 その4

息絶えた紫の上を目の前にして、源氏の怒りは爆発、兄に向かって「きっさまー!!!」という高橋大輔もとい光源氏とは思えぬ大音響での激しい台詞が!
ここからクライマックスの大殺陣となり、なんと帝自らも剣を取って戦いに加わります。そのさなか源氏をかばって咲風が討ち死に。まるで松浦の代わりに源氏の為に自らの命を投げ出したかのような…それが松浦への思慕を貫く咲風のやり方だったのでしょう。
源氏方朱雀方入り乱れての乱戦の中、あろうことか弘徽殿の女御までが参戦、「いやぁ~っ!」という叫び声とともに源氏に剣を向けて突進!…初日にここを見た時、荒川さんのほとんどやけくそのような熱演に圧倒されました…楽には演技が随分と自然になってましたよ。
と、朱雀帝が母の背後から刀を…!振り返った弘徽殿の驚愕の表情。母の狂乱を鎮めるには自らの手を汚すしかないという朱雀帝の身を切るような決断だったのだと思います。現世の煩悩から解き放たれたかのような死に顔で、最愛の息子の腕に抱かれた弘徽殿を見て、ある種の安らぎを感じたのは私だけではないでしょう。
母を抱いて退場する朱雀には、朧月夜が付き添う。そう、何もかも失った朱雀には、彼女が残されていた。今まで無視されていた朧月夜がやっと自らの居場所を得た瞬間でした。

しばし兄弟は視線を交わしたものの、もう元の二人には戻れない。朱雀達の去った後、紫の上の亡骸と頭中将とその場に取り残された源氏。
源氏の口からは「私が悪かった…すべて私が」という血を吐くような言葉が。それに対して首を横に振り必死に否定する頭中将…だが源氏は「どうか一人にしてくれ」と友の差し伸べる手を振り切る。その時の「ああ」という福士中将のうめき声は、演技とは思えないリアルさでした。最後の最後で、源氏の孤独を埋める存在になれなかった頭中将の無念さが伝わってくるような…。

一人になった源氏は「私が愛したものは皆去って行く。幸せになることなくただ去って行く。誰一人幸せにできないのかこの私は」と語りだし、それは「私はなぜ生まれてきたのか」という歌に続いていき、そのままスケートになる…
この一連の流れは、台詞・歌・スケートが完全に一体化した「絶唱」であり、この「慟哭の舞」は、奇跡のようなパフォーマンスでした。
生まれた時から光輝く存在であったにもかかわらず、愛と幸福は源氏の手からすり抜けていき、ただ一人孤独の中に取り残される。
その壮絶な舞に終止符を打ったのは、いつしか背後に忍び入っていた長道だった。長道の剣が事その体を貫き、孤独の中光源氏はその生涯を終えた。
…初演と楽の生鑑賞、ディレイ・ビューイング、コロナ禍のライブストリーミング…何度見ても、この「慟哭の舞」からラストシーンまで、私は泣きっぱなしで…人前で嗚咽しちゃいけないので、口を押さえてこらえていたこともあったほど。たとえ私が前からの高橋大輔のファンでなくても、これ見たら絶対号泣することでしょう。

ところで、なんで長道は源氏を殺したのだろう?と初演の時から私は考えています。弘徽殿を失い朱雀も退位し、長道は既に「権力」という彼のすべてを失っているのに今更なんで?
考えられるのはどうせ落ちぶれるなら源氏も道連れというあたりなんでしょうが、思うに弘徽殿を失った腹いせ…?昨年、鑑賞した直後にも書きましたが、問答無用の悪役の長道でも、異性として弘徽殿に惹かれる気持ちだけは本物だったと思うのですよ。弘徽殿の方は、長道を利用していただけでも。だからって源氏を殺していいわけじゃないですけど!
(この部分を書いた後に日テレプラス「荒川静香 フレンズプラス」のゲストで出演した波岡さんが、長道は毎回この場面では泣いていたと明かしました。「長道は愛だけの男」とも断言、やっぱり長道の弘徽殿への想いは本物…純愛と言ってもよかったのでは!?

舞台が暗転し、弘徽殿達の魔の手から逃れ出家した藤壺がすすり泣く声が響いてくる。傍らで「藤壺様、しっかりなさいませ」と叱咤し、さらに新帝として即位する若宮を「必ずお守りします」と誓う頭中将を見ると、彼は源氏と藤壺の恋、そして若宮の実の父親が誰なのか知っていたのだ、と確信しました。源氏を守り切ることが出来なかったことは頭中将にとって痛恨の極みだったことでしょうが、だから今度こそ源氏の血を引く若宮=新帝を守り抜く決意をしたに違いありません。源氏の笛を受け継いだ若宮に「参りましょう陛下」と深々と頭を下げる頭中将を見た時、物語の中で新しい時代が始まったことをはっきりと感じ取りました。
元々帝が源氏に送ったものである笛は、源氏の形見として藤壺に渡され、そして藤壺から若宮へ。藤壺の「お父様があなたを見守っています」と言った時の「父」とは帝と源氏二人共をさしているのだと思います。

頭中将とともに出発した若宮が思わず母の方を振り返った時の藤壺の台詞。
「陛下。もう振り返ってはなりません。しかと自らの道をまっとうするのです」
これは戸部さんが書いたもの、もしかしたら亜門さんが加筆したもので、藤壺が若宮に向けた台詞であることはわかっていても、どうしても高橋大輔本人に向けた言葉に響いてならないのです。そう、もう彼は振り返らない。「道を作るもの」として未知の未来へ歩を進めている。
そしてこの言葉を言い渡してから、帝となる我が子に深々と礼をする藤壺の母としての決意にも心打たれずにはいられませんでした。

頭中将と若宮の退場と同時に松本孝弘のギターによるオリジナルのテーマ曲が鳴り渡り、そして一人涙にくれていた藤壺のもとに、源氏が天上から降りてくる。とても美しい宙乗り(体幹がしっかりしているからこそ可能なフォルム)で、藤壺に触れそうでけして触れないのが、源氏がもうこの世の人でないことを如実に現していました。とても美しい宙乗りで、大ちゃんの体幹がしっかりしているからこそ実現したフォルムでした。
大ちゃんの空虚な表情がまたこの世ならぬもので…。
宙高く上がった源氏が月のもとに帰って消えていく刹那、藤壺は語る。「あの方は月でございました。月は夜の孤独の中でこそ美しく輝くものでございます」
そして銅鑼の音とともに、二時間余の濃密な真実に満ちた虚構の世界が幕を閉じました。
…実は「氷艶2017 破沙羅」にあったツケ(拍子木)の音がないことが「月光りのごとく」では少し寂しかったのですが、代わりのように使われた銅鑼の音がとても効果的でした。

テレビ放送を録画した楽の収録を見ると、カーテンコールで最初に登場した時の大ちゃんは、まだ光源氏の顔をしていましたね。若い頃の高橋大輔は試合のプログラム滑り終わった瞬間に素の「大ちゃん」に戻るのが早すぎるんでは?と思えたことが時々あったのですが(2011年真駒内NHK杯で神演技だったSPの時とかねw)、「月光りのごとく」の時は、いつもの大ちゃんに戻るのに少し時間がかかっていたのが、「月光りのごとく」という「虚構」の2時間余りがどんなにか「真実」であったかの証しのひとつだったと思うのです。
まさに昨年、横浜アリーナで観た直後に、拙ブログのタイトルとした「現世(うつしよ)は夢 夜見る夢こそまこと」という江戸川乱歩の言葉をもう一度思い出します。
楽のカーテンコールでの演出の亜門さんの「今日でこのカンパニーは解散です」という言葉のまま、あの夢のひとときは過去の時間に流れ去り、そして年が明けた令和2年は世界中を新型コロナ・ウイルスの猛威が吹き荒れ、そして年末の現在に至ってもなお止みません。一回の上演に1万人もの観衆を集めたイベントが実現したことは、今では夢のようです。
今はただ辛抱の時。いつかこのコロナ禍が終息して、再び「氷艶」のような夢の世界に身を溺れさせる日が来るのを戻ってくるのを私は待ち続けます。
たとえ時間的に「過去」になろうとも、多くの人びにとって「氷艶」は現在形として生き続けている。私はそう信じています。「月光りのごとく」だけでなく、「破紗羅」もね!

そして「月光りのごとく」での共演が契機となった村元哉中&高橋大輔のアイスダンス・チームとしての道程を見守りつつ。

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