イタリア映画祭2009 「プッチーニと娘」

イタリア映画祭 2009 Festival del Cinema Italiano 2009 Tokyo(4月29日~5月5日 有楽町朝日ホール)

『プッチーニと娘』 "Puccini e la fanciulla"(パオロ・ベンヴェヌーティ監督 2008年)

1909年、オペラ作曲家ジャコモ・プッチーニ家の小間使いだったドーリア・マンフレディが、プッチーニ夫人エルヴィーラにプッチーニとの仲を邪推されたことから、服毒自殺したという実話を映画化した作品。プッチーニの邸宅があったトスカーナ州のトーレ・デル・ラーゴ-その地名のとおりlago湖の畔の美しい田園地帯でのロケ撮影、会話はほとんどなく、手紙の朗読だけで物語るというユニークな手法で、「ドーリア事件」が描かれていきます("新解釈"だそうです)。

…数日前に当Blogで取り上げた「落ち込む映画」に新たに加わりました。やりきれない、というより後味の悪い映画でした。
嫉妬に狂い、小間使いをクビにした後も、人前でドーリアを罵倒し殴り、自殺に追い込むまで虐待・迫害を止めなかったプッチーニ夫人エルヴィーラは、「鬼」としか言いようがありませんでしたが、それを知りながら見て見ぬふりををしていたプッチーニに一番責任があったのだと思います。
もし、史実がこのとおりだったのなら、私はドーリア=『トゥーランドット』のリューという美化したイメージを抱きすぎていたようです。リューのような繊細な美少女(というのも、『トゥーランドット』の美しいメロディから連想した私の幻想だったわけですが)を想像していたドーリアは、この映画ではいかにも田舎娘らしく垢抜けない健康的な少女でした。その健康そのものだったドーリアが、追い詰められやつれ果てていくのが、あまりにも痛ましい…。
女好きのプッチーニがドーリアには手を付けていなかったのは、ドーリアを大事に思っていたというより、田舎娘など相手にしていなかった…というのが、この映画の解釈のようです。私があまりに非道いと思ったのは、プッチーニが、ドーリアからの救いを求める手紙を読んですぐに暖炉の火に投げ入れてしまった場面でした。
そもそもエルヴィーラの常軌を逸したドーリア迫害は、夫の浮気へのやり場のない怒りのはけ口だったのかもしれません。それくらい、プッチーニの他の女との情事は、放埒というより手当たり次第という感じで、もうどうしようもないものでした。その情事の相手の中に、ちょうど作曲中だった『西部の娘』のヒロイン、ミニーのモデルとなったらしき人物もいたことは、オペラ・ファンには収穫なのかもしれません。私はあまりに気が滅入って、そんなことどうでもよいくらいでしたけど…。
劇中にオペラのシーンはありませんが、プッチーニがピアノで『西部の娘』の作曲をしている場面は随所で聴けました。

それから、この映画の欠点といってよいと思うのですが、プッチーニ家の複雑な家族構成をあらかじめ把握していないと、話が見えてきません。フォスカという女性が、ドーリア事件に深く関わっていたのですが、プッチーニ家に住んでいるこの人だれ?と思っていたら、エンド・クレジットでエルヴィーラの娘だとやっと分かりました。エルヴィーラの連れ子?
それから、プッチーニがドーリアの兄の就職をやけに熱心に世話してやったのが、どういう意味か分かりませんでした。ドーリアへの罪滅ぼし?それとも、やっかいばらい?
これらの疑問の数々は、私の勉強不足と、飲み込みの悪さゆえかもしれませんが、いくら「会話なし」という手法が画期的でも、私には不便きわまりなかったことは事実です。

とにかく、ドーリアが不憫すぎる…。後年、プッチーニが、彼女を「リュー」のモデルとしたことで『トゥーランドット』の中で昇華されたという説を、信じなければやりきれません。彼女が命を絶ってから、今年でちょうど100年だったのですね…。

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