Il quaderno d'Estate

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<<   作成日時 : 2008/08/21 01:13   >>

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先週は、オリンピックやら一週間のみのお勤めやらで、遠いイタリアはシエナのパリオのニュースどころではない…状態と言えなくもなかったのですが、panterinoさんがリアルタイムでブログに上げてくださっていた、8月16日のパリオの様子は、楽しく読ませて頂いていました。今さら、当ブログで取り上げても、旧聞に属する話しなのかもしれませんが、いち地方都市の伝統行事に留まらず、イタリアの全国紙で結果が報じられ、国営放送RAIによるテレビ中継もあるほどの大イベントなので、当ブログでも取り上げてみようと思います。

panterinoさんが次々と上げていた臨場感溢れるレポのうち、当日の本戦の結果の記事にリンクを貼らせて頂きます。
http://senese.cocolog-nifty.com/koukishin/2008/08/post_396e.html

日本のテレビ番組で取り上げられることも少なくないので、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、トスカーナ州の古都シエナでは、毎年7月2日と8月16日に、contrada コントラーダという名称で区分された地区対抗の伝統的競馬です。町を象徴する広場、カンポ広場に土を敷きつめ、鞍なしの裸馬を騎手があやつり広場を周回するというレースで…と、見てきたようなことを述べても、私はまったくパリオを見たことがないのです。
私が1992〜1993年にシエナの語学校で学んだ時期は、9月から3月の末までで、その後シエナを訪れる機会をいまだ持てず(結局、イタリア人の友だちができないと、ついつい足が遠のきがちになってしまうんですね)、当時カンポ広場にはほとんど毎日行っていたのに、パリオの気配はちらとも感じないまま、今に至っています。いや、一度だけ、町の路地で男の子が旗を放り投げて受け止める練習をしているのを見かけたことがありましたが、あれはパリオに付随する伝統行列のためのものだったのでしょう。

パリオが「伝統芸能保存会」の類の行事でなく、今に生きるsenese シエナ人にとってかけがえのない生活の一部であり、彼らが熱い情熱を傾ける対象であることは、panterinoさんの記事のみならず多くのところで語られています。一例を挙げれば、コントラーダのひとつpantera パンテーラ(豹)地区に生まれ育ち、バリトン歌手として活躍していた時期にcapitano カピターノ(キャプテン)を勤めていたエットレ・バスティアニーニが、没後40年余を経た今もパンテーラの人々の誇りであり続けていることからも、明らかです。

パリオには、古式ゆかしい旗行列や蝋燭行列など様々な伝統行事が伴い、また馬や騎手の割り当て、prova プローヴァと呼ばれる試走、コントラーダ同士の駆け引き・取り引き等、複雑な決まりごとがあるようですが、何はともあれ今年はBruco ブルーコ(芋虫)が優勝し、熱狂のうちに幕を閉じたとのこと。

ブルーコにしても、コントラーダのチーム名の中には、ちょっと不思議なものもあります。

  • Aquila ワシ

  • Bruco 芋虫

  • Chiocciola かたつむり

  • Civetta フクロウ

  • Drago 竜

  • Giraffa キリン

  • Istrice ヤマアラシ

  • Leocorno 一角獣

  • Lupa 雌狼

  • Nicchio 貝殻

  • Oca ガチョウ

  • Onda 波

  • Pantera 豹

  • Selva 森

  • Tartuca 亀

  • Torre 塔

  • Valdimontone 山羊(?)


ざっとこのコントラーダ名を眺めると、シエナを象徴する雌狼や塔はよく分るし、豹や竜も精悍で速そうでレースにぴったりなチーム名だと思うのですが、芋虫とかカタツムリとか鈍そうな動物のネーミングが不思議。
私の手元にSiena Il Sogno Gotico シエナ ゴシックの夢という、シエナ滞在時に購入したビジュアル的にも美しいガイドブックがありますが、そこに各コントラーダを擬人化した女性が芋虫や豹や亀の絵付きの大皿を掲げているイラストが載っています。Onda 波チームの皿の、波とともにしゃちほこポーズを取ったイルカの図を見ていたら、なつかしく思い出しました。
我々Universita' per stranieri シエナ大付属外国人語学校の学生は、大学のメンサ(学食)を利用していたのですが、2ヶ所あったうちのひとつに行く途中の坂道にイルカの看板(?)がたくさん出ていて、「なんでイルカ?」と思っていたのですが、あのあたりはContrada dell'Ondaだったのですね。

思い出は芋づる式に浮かんできて、私は「パリオの気配はちらとも感じない」どころか、Contrada della Tartucaの地区専用の食堂で夕食を摂る機会があり、シーズンオフで馬は不在とはいえ、パリオの期間に馬が繋がれる小屋まで見せてもらっていたのでした!こんな大事なことを失念しかけていたとは…。そんな機会を持てたのは、語学校の担任の先生がTartaruca カメさんチームのメンバーだったからですが、長くなってしまうので、その時の思い出はまた別の機会に書きますね。

画像P.S.私の下宿は、fuori 城壁外にあったので、コントラーダに属してはいませんでした。しかし今思うと、夢のようなところに住んでいたものでした。毎朝、学校に行くために家の外に出ると、オリーブ畑の谷が目の前に広がって…。

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タイトル (本文) ブログ名/日時
ブルーコ、パリオを制す
8月16日、時代行列のあと、午後7時すぎからパリオのレースが行われ、ブルーコ(芋 ...続きを見る
イタリアに好奇心
2008/08/21 16:07

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
リンクおよび記事のご紹介ありがとうございます。
歳のせいなのか、イタリアおよびシエナの変化が自分にとって受け入れにくい部分があるのか(最も現実的にきびしいのはユーロ高、円安ですが、それだけでもない気がします)、90年代のイタリアがなつかしく感じられます。

シエナに滞在なさっていたときの記憶をたぐって、どうぞ、またお書きになってください。期待しております。

panterino
2008/08/21 17:04
>panterinoさん
リンク快く了解して頂いてありがとうございました。
panterinoさんのレポで、プローヴァの経過など、今まで知らなかったことが、よく解り楽しかったです。

>イタリアおよびシエナの変化
やっぱりシエナも変わっちゃいましたか。。。
'90年代は静かでのんびりとした、かっこつけて言うと「ゴシックの夢を見続けている」ような町でしたが…
ユーロ高は数字見るだけで恐ろしくて、私など到底旅行に行く気になれません。行くとしたら、絶対2月にしよう!と考えてます。

Tartucaの食堂の話は、あれ以上付け加えることも大してないのですが、そのことに限らずシエナの思い出は、思い出すまま書きついでみたいです。
なつ
2008/08/22 00:30
バスティアニーニは今でもパンテーラの人々からカピターノとして尊敬されていますよね。私がアップしたビデオにコメントをくれた方がパンテーラの人だったんですが、分の端々から、コントラーダへの熱い愛情、バスティアニーニへの敬愛がひしひしと伝わって来ました。

私も実は、旅行用のスーツケースにはいつも、パンテーラの旗をプリントしたスカーフを巻いています。
rosina
2008/08/22 09:30
『分』ではなく『文』です^^;
rosina
2008/08/22 09:31
>rosinaさん
バスティアニーニは歌手として多忙を極めた中で、カピターノの重責を担ったのですね。
それほどまでのパンテーラへの愛、そして未だにバスティアニーニをカピターノと仰ぐパンテーラの人々の愛を知ると、シエナという町への認識がまた新たになる思いです。
パリオの間のseneseは皆、自分の属するコントラーダのスカーフを首に巻いているようですね。

何度か書きましたが、'92年はバスティアニーニ生誕70周年で、Teatro Rinnovatiで行われた記念コンサートにも足を運びましたが、その当時の私はバスティアニーニのことを声も姿もまったく知らず…なんともったいない…
なつ
2008/08/22 19:40

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